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「答申」の履行を求めて市に「申し入れ」

市の付属機関である「同和問題解決推進協議会」が「答申」を出して、まもなく1年になります。
この間の市の動き・対応をみると、「答申」をどのように受け止め、実行していこうとしているのかが、見えてきません。
このままでは、如何ともしがたいということで、協会として市に「申し入れ」を行いました。
これを受け止めていただき、しっかりした方針を示してほしいと思います。


豊中市長 長内 繁樹  さま


                                  2019年3月14日

一般財団法人とよなか人権文化まちづくり協会
理事長  中川 幾郎


同和問題解決推進協議会「答申」をふまえた同和行政の推進についての申し入れ

2019年度は、2018年3月26日に出された「答申」を具体的に実行していく初年度に当たりますが、まずは市として「答申」をどう受け止めるのかを内外に明らかにし、実効性あるプランを策定していく、といったことが行われると思っていたところです。


しかしながら、同和問題解決推進協議会で事務局(人権政策課)が出した資料を見ると、現場レベルで議論するような教材資料が出されているだけで、市として「答申」をどう位置付け、どうしていこうとしているのかは、全く伺うことができないものでした。


市長がどうしたらいいですかと諮問をし、協議会がそれに答えたわけですから、市長から何らかのリアクションあって然るべきだと思います。それが、こうした「教材」(資料)ということにはならないはずです。これは協議会で議論するレベルのものではないし、いきなり、こうした「教材」みたいなものを出してきたのはなぜなのか、これで何をしようとしたのかと思います。


2002年以降、同和行政は法定受託事務から自治事務に変わり、自治体の自己責任でやることになり、それを「やらなくてもいい」と解釈する自治体も出てきました。だから、やる必要があるかどうかという判断は、自治体の部落問題に関する調査と現状認識にかかってきます。部落差別がなくなったのならやめたらいいですが、その場合もなくなったという証拠を出す必要があります。あるという証明はできますが、なくなったという証明はできません。国もバックアップする「部落差別解消法」がある中で、「しない」という論理展開はできないはずです。


私たちは、市が「答申」をどう解釈したのか、どういうふうに読んだのか、これからどうしていこうと考えているのかということをぜひ知りたいし、聞かせていただきたいと思います。その上でどうしていこうかという具体の話になるはずです。


1998年8月10日策定の同和行政基本方針が「まだ生きています」というのであれば、「答申」との今日的なズレ・差異をきちっと点検して、どこをどう変えたらいいのか、基本方針を現状に合わせて仕立て直すくらいの作業はしてもらわないといけないと思います。


蛇足ですが、豊中市においては部落差別の現象が見受けられなくなりましたと言い切れるならそうした方針も計画も作業も必要ありません。人権一般の基本方針がありますから。


この間の経緯からは、「答申」が棚ざらし乃至は絵に描いた餅になり、部落問題解決に向けた今日的な取り組みの好機をむざむざと逸するのではという危惧を感じます。「部落差別解消法」の施行と「答申」という願ってもない根拠と追い風があるわけですから、ここは正面から踏み込んでいくべきだと思います。


あくまでも啓発と教育についての「答申」を受けたというのであれば、まずは啓発と教育に絞った基本方針と基本計画は出すべきだと思います。


「答申」に対する考え方を明らかにすることは、必然的に「同和行政基本方針」の改訂と新たな計画の策定につながるはずです。部落問題の解決に向けて、私たちと豊中市はともに知恵を絞り、汗をかき、ここまで進んできましたが、その歩みをより確かなものにし、新たな次元での取り組みを準備していきたいと考えています。

以上、豊中市としての見解と対応を明らかにしていただくよう申し入れますので、よろしくお願いいたします。

2019年3月16日 (土)

私から発する

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部落問題や人権問題には、「重い」「暗い」というイメージがつきまとっているのはなぜなのか?どうしたらいいのか?という問題は、今にはじまったことではないが、ないがしろにはできない。

そもそも差別や人権の問題は重くて当たり前で、軽いはずはない。それはその通りだろう。しかし、「重い」「暗い」との固定的なイメージ・先入観が張り付いたままでは、関心を持つ人は増えないだろうし、二者択一の問題として捉えてしまうと、袋小路にはまり込むことにもなるだろう。

大事なことは、「重い」「暗い」という偏った受け止めが現実にあるとすれば、それを緩和するための努力をすることだし、それが何によってもたらされているのかを明らかにし、解きほぐすことだろう。何となれば、差別や人権問題は、直接の当事者とそれ以外の人との関係の表れでもあり、解決のためには双方の関係の再構築が不可欠だからだ。

「重い」「暗い」というイメージを多くの人が持っているのであれば、それを崩す作業がまずは必要になる。それは、「軽い」「明るい」イメージをふりまくことでは決してない。相手の思い込みやイメージを踏まえたうえで、それに揺らぎを起こすようなアプローチをするということだ。

なぜなら、所詮、差別・人権問題は他人事の世界であるからだ。

だから、それは生易しいことではないが、それを仕掛けないと、双方に橋は架からず、対話も成り立たないだろう。何事も相手があってのことだから、しんどいことではあるが、橋を架けたい、対話をしたいと思うのであれば、自ら動くしかあるまい。(SASAKI)

2019年3月14日 (木)

重くても暗くても中身が大切

先日おこなわれた協会の役員懇談会の中で、「人権は重い」「気軽に語ったり考えたりできないものか?」といったことが話題にあがった。実は過去に、センターの利用者さんからも「差別や人権の講座には暗くて重たいイメージがある」「人権について楽しく学んだり、明るいイメージを持てるような講座を企画してほしい」と言われたことがあり、僕はその時のことを思い出しながら話を聞いていた。

 

1人でも多くの人に人権について知ってもらったり、考えていってもらうためには、今後、楽しさや気軽さ、学びやすさについても検討していくべきなのかもしれない。しかし、個人的には「例え暗くても重たくても、しっかり学んでほしい」「大事なことだから一緒に考えてほしい」という思いが強く、また、中身や方法次第かもしれないが、楽しさや気軽さを優先することで、一番大事なことが伝わらなかったり、「楽しかった」や「面白い話だった」だけで終わってしまっては意味がないと思っている。

 

センター利用者さんの中には、「講座や学習会に参加して、これまで知らなかった問題について知ることができた」、「これまで無関心だった問題について考えるきっかけになった」と言ってくれる人もいる。

僕はそういう人たちを1人でも増やしていけるような講座、重くても中身のある講座を大事にしていきたい。

2019年3月13日 (水)

「人権」が重い?

昨夜は理事さん、評議員さんを交えての役員懇談会がありました。

みなさん、お忙しい中、ご参加くださり、本当にありがたい限りです。

2019年度に向けた目標などを事務局が各々プレゼンし、

この間のセンターのあり方(大したありかたちゃうけど)


答申をめぐる動きなどを報告し、理事さん評議員さんから、それぞれに発言をいただきました。


そのなかで、ふと心にひっかかったことを、私の感想として、記憶を忘れる前に書き記しておきたいです。


「人権が重い」という話題になった。

「人権問題を語るときはなぜか重苦しい」「堅苦しい」「腫れ物に触るかのようだ」


「もっと軽く人権について語れないだろうか」


「語る場」の「場づくり」は協会ではなく、センターの役目だと思う。

他にももっと話題はあったが、私はそこにひっかかった。


意見をくださった方を批判しているのではない。

夜中に目が覚めて思いついたことで、これはあくまで私の感じた感想だ。

寝る時間を削ってまで考えた私の意見だ(寝れなかっただけ)


重いのは「人権問題」ではなく、「差別の問題」なのではないだろうか?


人権は普遍的に、皆が当たり前に持っている権利で

そこには生存権や幸せに生きる権利や、さまざまなものが含まれる。


重いのは、その権利ではなく、それに生じる差別を語ることが重いのではないだろうか?

そうなったら、重くて当たり前だ。

いわれのない暴言を吐かれ、時に暴行を加えられ、疎外され、忌み嫌われ、権利を奪われる。

そら重いわ。


軽く語れるはずがない。

誰が自分が受けた結婚差別の話を軽く語れる?

誰が朝鮮人だということで嫌がらせを受けた話を笑いながらしゃべれる?

ハンセン病で隔離された歴史、障害に寄って強制的に不妊手術を受けさせられたり、

監禁されたり、そんな話を軽くできるはずがない。


ど直球でどストレートにその話題を降っても、9割の人はきっと、「だから何?」というだろう。

献血がすごく大事だけど、行く人が少ないものそこだと思う。

自分には関係のない話だから。

間口を広げて、差別の問題を知らない人でも語れる場も必要だ。



何かを通して人権の問題や差別の問題を考えるというのも大事だと思う。

けれど、問題の軸をしっかり捉えて学び考える場も必要なのだ。

そのバランスが非常に難しい。

まちづくり講座はいまのところ、動員ではなく、自主的に参加してくれる方が多い。

テーマが重くても、すごく良かった、勉強になったと言ってくださることも多い。

いろんな企画を考えていると、ひとりよがりになって、自分のやりたいテーマに偏ってしまいがちだけど、

楽しく学べることを求めている人がいるのなら、そのニーズにもやはり答えなければいけないのが協会の責務でもある。


永六輔の「明るい話は深く、重い話は軽く」の文庫本を思い出した。









2019年3月12日 (火)

“参加型で学ぶ”人権・部落問題学習を考える研究会に参加してきました。

今回のテーマ

「行動につながる」参加体験型学習をともに創る

~“迷惑”“差別の交差性”“情報リテラシー”“貧困の連鎖”を手がかりに~

 

主催の大阪府人権協会では、差別や人権侵害に「気づくアンテナ」を豊かにし、「尊重や受容」「構造」について学び、「行動」につながる参加体験型のプログラム開発を進められています。その開発に向けて、少しでも差別や人権侵害をなくしていく輪を広げる機会として実施されました。

 

はじめに主催者から「今回のプログラムは未完で、より良いものにしていき、それぞれの現場に持ち帰って取り組んでほしい」という説明がありました。

 

今回は、全体が2部構成になっていて、第1部では、新しいプログラムの提案者の5名の方から、それぞれのプログラムについて、10分程度の説明があり、その説明を聞いて参加者は、どのプログラムについて参加したいか2つを選択し、第2部では、それぞれ選択したプログラムの所に参加して、グループワークを行いました。

 

1部の新しい人権学習のプログラムの概要紹介では、大谷眞砂子さん(じんけん楽習塾)、柴原浩嗣さん(大阪府人権協会)、武田緑さん(Demo主宰)、松波めぐみさん(大阪市立大学他講師)、森実さん(大阪教育大学)5名の方々より「“迷惑”から人権を考える」、「部落差別はあるの?」、「貧困の仕組みワークショップ」、「“差別の交差性”を考える」、「ネット社会を生き抜くための学習課題と学習活動」についてお話しいただきました。

 

私は、はじめに松波さんの“差別の交差性”のワークに参加し、2つめは“迷惑”から人権を考えるに参加しましたが、私ははじめ、あまり理解できていなかったのですが、ワークの中の、それぞれのエピソードの背景にある、差別や人権侵害などに参加者が気づきながら、ワークの中でお互いに話し合い、差別や人権侵害をなくしていくつながりを作って行く内容となっていました。

 

なかなか全体の内容を理解するのに時間がかかってしまい、話し合いに十分参加出来なかったことが残念でした。

立て続けに映画

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「眠る村」

「名張毒ぶどう酒事件」は、「狭山事件」の2年前(1961年)に起きた事件で、犯人とされた奥西勝さんは、1審の無罪判決が名古屋高裁で取り消され、一転して死刑判決となり、確定した。獄中から再審請求を繰り返したが、ことごとく却下され、200545日、名古屋高裁(第1刑事部・小出錞一裁判長)が第7次でようやく再審開始を決定した。

しかし、あろうことか20061226日、名古屋高裁(第2刑事部・門野博裁判長)は、再審開始決定を取り消す決定をした。

8次も棄却され、奥西さんは2015104日肺炎のため八王子医療刑務所で死亡し(89歳没)、それに伴い第9次再審請求は棄却された。2015116日、奥西さんの妹・岡美代子さんが第10次再審請求を申し立てたが、2017128日、名古屋高裁は再審請求を棄却した。

事件が起きた葛尾(くずお)地区は、北は奈良(上葛尾)、南はと三重(下葛尾)に分かれているが、住民たちの交流がある。しかし、事件はこれを壊した。 

「村」と呼ばれる集落にはどこにでもあるが、濃い人間関係と深いつながりが人々の疑心暗鬼と猜疑心に絡みつき、事件は特有の展開を見せる。そして、それは警察の描いたストーリーに沿って、「村からお縄を出さなければならない」との強迫観念とも相まって、一人の人物に集約されていく。

「自白」をしたと聞き、安堵する人々は、否認に転じたと聞くと、家族を村八分にするに至る。そして、証言をコロッと変える。かくして、奥西さんはアリ地獄の人となっていく。

カメラは、事件から半世紀余を経た人たちの今を丁寧に聞き取ることに徹している。決して押し付けたりはしない。しかし、村人の口は堅い。墓場まで持っていくつもりなのだろう。そして、忘れ去られることを望んでいるのだろう。

村人だけではなく、「自白」だけをよりどころに、科学的な新証拠を無視して確定判決を維持する裁判所もまた「村」と化して、真実解明の前に立ちはだかっている。二つの「村」が自白」を抱いたまま眠っている。                                                                                                                      

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「福島は語る」

映画は14人の被災者のインタビューで構成され、170分だが、長さは感じない。

一人ひとりの人生と暮らしが「3.11」を機に激変し、戻ることのできない地点に追いやられていく。

傷つき、病み、ときに誹りを受け、希望を断ち切られ、失望と絶望の狭間で呻吟する。

すべての事柄には原因があるが、その責めを負うべき者は、対峙することも、声を届けることもかなわない。

哀しみに耐え、歯を食いしばり、必死に前を向こうとする人たち。

受け取ったものを活かしたい。

十三の「七芸」で上映中です。 http://www.nanagei.com/movie/schedule.html

2019年3月 6日 (水)

久しぶりの東京

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解放同盟の全国大会に参加のために東京に行ってきました。せっかくなので、この機会を利用して、かねてより思っていた、野田市にある「福田村事件」の慰霊碑を見にいくことにしました。

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最寄り駅は、東武鉄道野田線(東武アーバンパークライン)の梅郷(うめさと)。あらかじめネットで徒歩ルートを調べていたが、途中までは順調だったが、だんだん道が細くなり、ついには道なき道へ侵入。

不安になりながらも前に進むしかないと覚悟を決めてあるく。ようやく、地図のチェックポイントにに着く。が、先はまだある。そして、ここまでくればと思ったが、まわりは畑ばかりで、めざす建物は見当たらない。

行きつ戻りつしながら、たどり着いたゴルフ場で道を尋ねる。親切に教えてもらったルートをしばらくいくと、やがて目標地点に。

あとはまたの機会に。

2019年3月 5日 (火)

介護職の研修にて

今日は昼前後にかけて、介護職の研修の場でお話をさせていただきました。

 

人数は少なかったのですが、みなさんが「久しぶりに人権問題や差別問題の話を聞きました。」と言われていました。

 

みなさん久しぶりの話なので、これまでの自分たちの人権問題との出会いも忘れておられるようでした。私自身の体験談などを話す中で、「思い出しました」と、それぞれが体験された話も交流しながら、進める事ができました。

 

内容は、部落差別や在日外国人に関わる差別の問題、障害者差別の問題など、聞いた話と自分が経験した話を重ね合わせながら聞けたことがいい機会になったようでした。

 

2時間弱と、短い時間でしたが、今後の生活の中で、偏見や差別と出会った時に、今日、みなさんでお話しした事などを思い出してもらえたらと思います。

 

自分自身もこんな機会をいただき、改めて振り返る事ができました。

m(_ _)m

2019年2月28日 (木)

関東大震災と朝鮮人虐殺のいま

午後からは、多民族共生人権啓発セミナーに参加しました。

4年前に世人権豊中の記念講演にお越しいただいたノンフィクションライターの加藤直樹さんの講演でした。

映画を観てから知ったんですが、なんと、午前中に観た「金子文子と朴烈」の監修協力を加藤直樹さんがされていたんです。


そこまで見てへんかった・・・!
てゆーか、字が小さくて見えへんかった・・・!!!

映画の内容ではなく、パンフレットの歴史的な部分を担当されたそうです。
パンフレット買えばよかった・・・


2000年に石原都知事の「三国人」発言は、「三国人」という言葉にバッシングが寄せられたけれど、

加藤さんは、「すごく大きな災害が起きたとき、大きな騒擾事件が想定される」と


災害時に外国人が事件を起こす
という発言に危機感を覚えたという。


そして過去30年、さまざまな国での災害時に外国人が騒擾事件を起こしたかどうか
新聞記事を調べたか、まったくそんな事実はなかったという。

むしろ、災害時に流れるのは、差別的なデマである。

そして、そのデマや流言が拡散するかどうか、それ以前の社会がどのような認識であったかによるという。

関東大震災のときは、朝鮮半島は日本の植民地で、人々は朝鮮人を蔑んでいた。

朝鮮人を差別してもいい存在というふうに認識していた。

そんななかに起きた震災で、おさまらない火事に人々は不安を覚え、

「朝鮮人が放火している」「井戸に毒を投げた」というデマを信じ込み、朝鮮人を虐殺していった。


差別する土台、殺してもいいんだという土台がそれ以前から社会に浸透していた結果だったのだ。

それが約100年経とうとする今も地続きであるということ。


映画の裁判のシーンで、「黙れ、この不逞鮮人!」と叫ぶおっさんの声に

朝鮮大学の前で、「おい。そこの朝鮮人の学生。君にも朝鮮人としてのプライドがあるだろう。

ここにきて殺されろよ」と暴言を吐いた桜井誠の声が頭をよぎった。


「朝鮮人が殺されたことは仕方がなかった。治安の維持のためにも、あれはあれで良かったんだ」という首長も当時はいたという。

虐殺はなかったという否定論者によって、小池都知事は追悼文の送付をやめた。
横浜市では副読本から「虐殺」という文字や史実を省こうとした。

虐殺の歴史を教えることなく、消し去ってしまっては、再び恐ろしい惨事となる。



自然災害にデマはつきものだ。


実際に3.11で右翼団体が外国人が略奪をしているというデマを信じて武装して石巻へ行ったという。(youtubeに動画あるそうです)




日本人がえらくて、韓国人や中国人が劣っているのではない。
みな平等なのだ。同じ人間なんだ。


そう考えるのは自尊感情が低いせいなのか?
自己肯定感が低いのか?


くだらないデマに惑わされないこと、偏見にとらわれないこと。



みんな違っていいんだという認識をしっかり持つことがやはり大事なのではないかと思った。

4年前の世人権ニュースに加藤さんの報告が載っていました。
興味ある方、ご一読ください。

http://jinken.la.coocan.jp/sejin/news-vol.22.pdf

金子文子と朴烈

「金子文子と朴烈(パクヨル)」を観に行ってきました。


心斎橋のビッグステップなんか、20年ぶりぐらいに足を運んだ。

そもそも、ここに映画館があったことすら知らなかった。


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時代は日本が朝鮮半島を植民地にしていた1923年の東京。


関東大震災で多くの朝鮮人が、デマに寄って虐殺されるなか

詩人の朴烈と日本人の金子文子が逮捕された。

痛快なまでの天皇批判。



問題の本質をどストレートに貫いているそのセリフは
韓国映画だからこそできたものだと思った。


日本映画ではきっと作らせてもらえないだろう。


昭和天皇の幼少期の称号「ミチノミヤ」

韓国語で「ミチンノム」、「ミチンノミヤ」(狂った奴だ)をもじったくだりは爆笑だったし、



文子が天皇からの恩赦状を見て激高し、


「誰が天皇に恩赦の権利を与えた!!!」と叫ぶシーンが印象的だった。





金子文子役は韓国人の女優さんだが、本当はペラペラの韓国語を話せるのに

しどろもどろの韓国語を喋る姿が日本人っぽくて、とても上手だった。


行く前に「週刊金曜日」に目を通していたから理解できたけれど、

もう少し金子文子の悲惨な幼少期の内容が欲しかった。


獄中で書いた「何が私をこうさせたか」はこれから読まなければいけない一冊だ。





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大逆罪で逮捕、起訴されるも、証拠はほとんど出てこない。

しかし、朴烈を起訴し、死刑にすることで、朝鮮人虐殺の事実を隠蔽と収拾を図ろうとする政府だが、


すべてが裏目に出て、朴の要求を飲む羽目になる。


なんとも痛快だった。




金子文子が自ら死を選んだかどうかはわからないが、

本当に自死だったのであれば残念で仕方がない。


もっともっと長く生きてほしかった。




デマによる虐殺、暗殺を企てただけ、実行に移していないのに逮捕される大逆罪。


約100年前の史実を振り返ることが、これからの未来を拓くヒントになるはずなのに

今は都合の悪いことはひた隠しにしようと必死になっている。


そんな時代を、私たちがどう生きるかが問われている気がした。




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