部落差別をつかまえる
2020年4月に人権まちづくりセンターが人権平和センターに変わることになっていますが、これは豊中市の「同和」行政の分岐点になります。
この問題の基本は、部落問題の解決をいかに図るかということにありますが、その「導きの糸」となるのは、2018年3月26日に出された「同和問題解決推進協議会答申」(以下、「答申」という)です。「答申」の「市民啓発」のところに「拠点としての人権まちづくりセンター」という項がありますが、この部分は「答申」の肝の一つですが、こう書いてあります。
豊中市にこれを具体化する気があるなら、当然「骨太の提案」があってもいいはずですが、未だそうしたものはなく、二つの人権まちづくりセンターの複合化・多機能化ということしか提示されていません。結局のところ、市の考えから見えてくるのは、一つは、隣保館・児童館をなくし、それに伴う事業も縮小(廃止)するということです。もう一つは、部落問題の解決は公的責任というこれまでの基本姿勢から後退し、行革路線が「同和」行政を呑み込むこともよしとしていることです。これは、庁内において「人権派」が衰退し、「行革派」が増長してきていることの結果だと言えますが、「抵抗勢力」と言われてもいいから頑張る者もいないのが残念です。
では、部落差別は今、どうなっているのか?と問えば、「環境改善等の分野では、大きく改善が進みましたが、地区問い合わせや差別落書きなどが未だ発生しており、近年ではインターネット上で差別を助長する情報等が流布されるなどの問題があります」という答えが返ってきます。
「答申」の2ページにこう書いてあります。
「答申」の内容を検討するに際して、執筆に当たったメンバー(4名の起草委員)は差別を受けてきた当事者の声を聞く機会を得ることができた。その場で、差別に傷つき、不安にさいなまれる同和地区の人々の経験と思いを改めて突き付けられることとなったのである。
日常生活の場面で、近隣住民が口にする差別発言を耳にした際の心情、あるいは自身や近親者が経験した結婚差別と、その経験から子どもの将来について抱いてしまう不安な思いがそこでは語られた。
「差別事件」として顕在化することがないのは、差別による反対を受けたとしても本人の結婚の実現を願う切実な思いや、日々耳にする差別発言に対してはさらなる差別の言葉が発せられることを恐れて抗議する言葉を飲み込むしかないという現実があることが推測される。
さらに、不動産のチラシに物件の近辺にある「まちづくりセンター」が記されていない地図が掲載されているのを目にすることは、周囲が抱く差別意識の存在を突きつけられていることにほかならない。
「現在もなお部落差別は存在する」という認識は、豊中市においても当てはまると言わざるを得ないのである。
いわゆる部落問題の研究者・専門家と言われるような人たちが、当事者の話を聞いてこういう文書を書いたわけですが、これをどう読み取るのか?このところをきちんと理解しないと、部落問題はわからないと思います。
4人の起草委員は、部落問題についてそれなりにわかっていると思っていたが、話を聞かれてハッとしたんだと思います。部落差別というのは一括りにはできない、表には現れない深いものがあるということに改めて気づかれたんだと思います。だから、こういう書きぶりになったんだと思います。言葉を変えて言うと、「心情、不安感、沈黙の内にこそ差別が潜んでいる」ということだと思います。
「もう部落差別はないんや」と言う人が少なからずいます。「それ、ほんまか?」と。「じゃあ、どこに・どう差別があるんや」と反論されたときに、どう答えるのかということです。表に出ない、見ることができない部落差別をどう見抜いて、どう語るのかということが問われるわけです。
部落差別の一番の問題は、私たちが暮らしている地域社会に日常普段に息づいているということではないかと思います。それは浮遊物のように漂い、時に私たちを不安にし、時に人々の奥底にある差別意識を刺激して事件となります。
それをつかまえるためには、「二つの力」が必要だと思います。それは「想像力(イマージネーション)」と「共感力(シンパシー)」です。差別問題には差別を受ける当事者がいますが、その当事者を具体的に思い浮かべることができるかどうかです。部落とそこに暮らす人たちとの接点がなければ、部落差別はジブンゴトにはならず、判で押したような言葉でしか語れないでしょう。持っている知識と体験、経験を総動員し、想像力を巡らし、当事者への共感を呼び起こすことができるかどうかということになります。
それをまざまざと感じたのが、2019年6月28日の「ハンセン病家族被害訴訟」での熊本地裁判決です。国による隔離政策が就学拒否や村八分、結婚差別や就職差別などの差別被害を生み、個人の尊厳にかかわる人生被害で、不利益は重大だと指摘し、国に賠償を命じました。ハンセン病に対する的確な知見と元患者や家族が味わった差別に対する深い洞察と人間的なまなざしが見て取れます。
部落問題についても同じです。地区問い合わせや差別落書き、ネット上の書き込みなどは大きな問題ですが、問題の根本はその先、すなわち、部落差別そのものを解き明かし、無化することにあります。そのためには、「二つの力」と当事者とが出会い、部落問題の新しい世界を拓くことが必要です。豊中市はこれまで「同和」行政を積極的に推進してきた数少ない自治体で、その足跡は誇っていいと思います。失われた「想像力と共感力」の再生を図り、あるべき姿に立ち返ってほしいと思います。
(by SSK)
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