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2019年3月13日 (水)

「人権」が重い?

昨夜は理事さん、評議員さんを交えての役員懇談会がありました。

みなさん、お忙しい中、ご参加くださり、本当にありがたい限りです。

2019年度に向けた目標などを事務局が各々プレゼンし、

この間のセンターのあり方(大したありかたちゃうけど)


答申をめぐる動きなどを報告し、理事さん評議員さんから、それぞれに発言をいただきました。


そのなかで、ふと心にひっかかったことを、私の感想として、記憶を忘れる前に書き記しておきたいです。


「人権が重い」という話題になった。

「人権問題を語るときはなぜか重苦しい」「堅苦しい」「腫れ物に触るかのようだ」


「もっと軽く人権について語れないだろうか」


「語る場」の「場づくり」は協会ではなく、センターの役目だと思う。

他にももっと話題はあったが、私はそこにひっかかった。


意見をくださった方を批判しているのではない。

夜中に目が覚めて思いついたことで、これはあくまで私の感じた感想だ。

寝る時間を削ってまで考えた私の意見だ(寝れなかっただけ)


重いのは「人権問題」ではなく、「差別の問題」なのではないだろうか?


人権は普遍的に、皆が当たり前に持っている権利で

そこには生存権や幸せに生きる権利や、さまざまなものが含まれる。


重いのは、その権利ではなく、それに生じる差別を語ることが重いのではないだろうか?

そうなったら、重くて当たり前だ。

いわれのない暴言を吐かれ、時に暴行を加えられ、疎外され、忌み嫌われ、権利を奪われる。

そら重いわ。


軽く語れるはずがない。

誰が自分が受けた結婚差別の話を軽く語れる?

誰が朝鮮人だということで嫌がらせを受けた話を笑いながらしゃべれる?

ハンセン病で隔離された歴史、障害に寄って強制的に不妊手術を受けさせられたり、

監禁されたり、そんな話を軽くできるはずがない。


ど直球でどストレートにその話題を降っても、9割の人はきっと、「だから何?」というだろう。

献血がすごく大事だけど、行く人が少ないものそこだと思う。

自分には関係のない話だから。

間口を広げて、差別の問題を知らない人でも語れる場も必要だ。



何かを通して人権の問題や差別の問題を考えるというのも大事だと思う。

けれど、問題の軸をしっかり捉えて学び考える場も必要なのだ。

そのバランスが非常に難しい。

まちづくり講座はいまのところ、動員ではなく、自主的に参加してくれる方が多い。

テーマが重くても、すごく良かった、勉強になったと言ってくださることも多い。

いろんな企画を考えていると、ひとりよがりになって、自分のやりたいテーマに偏ってしまいがちだけど、

楽しく学べることを求めている人がいるのなら、そのニーズにもやはり答えなければいけないのが協会の責務でもある。


永六輔の「明るい話は深く、重い話は軽く」の文庫本を思い出した。









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