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2019年3月16日 (土)

私から発する

09212


部落問題や人権問題には、「重い」「暗い」というイメージがつきまとっているのはなぜなのか?どうしたらいいのか?という問題は、今にはじまったことではないが、ないがしろにはできない。

そもそも差別や人権の問題は重くて当たり前で、軽いはずはない。それはその通りだろう。しかし、「重い」「暗い」との固定的なイメージ・先入観が張り付いたままでは、関心を持つ人は増えないだろうし、二者択一の問題として捉えてしまうと、袋小路にはまり込むことにもなるだろう。

大事なことは、「重い」「暗い」という偏った受け止めが現実にあるとすれば、それを緩和するための努力をすることだし、それが何によってもたらされているのかを明らかにし、解きほぐすことだろう。何となれば、差別や人権問題は、直接の当事者とそれ以外の人との関係の表れでもあり、解決のためには双方の関係の再構築が不可欠だからだ。

「重い」「暗い」というイメージを多くの人が持っているのであれば、それを崩す作業がまずは必要になる。それは、「軽い」「明るい」イメージをふりまくことでは決してない。相手の思い込みやイメージを踏まえたうえで、それに揺らぎを起こすようなアプローチをするということだ。

なぜなら、所詮、差別・人権問題は他人事の世界であるからだ。

だから、それは生易しいことではないが、それを仕掛けないと、双方に橋は架からず、対話も成り立たないだろう。何事も相手があってのことだから、しんどいことではあるが、橋を架けたい、対話をしたいと思うのであれば、自ら動くしかあるまい。(SASAKI)

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